五の章  さくら
 (お侍 extra)
 

    東 風 〜またあした

       五の章



 さすがは あの綾麻呂が、裸一貫の叩き上げから立って支えた街だけはあって。警邏隊の地位や権限、電気・上水など公益施設使用量への徴税など、彼の敷いていた制度は、それらを威容をもって統括する差配が不在の現在でも 何とか辛うじて機能し続けており。それもこれも、ここがアキンド中心の土地だからというのが大きな素因。彼らにしてみれば、こういった組織立った仕組みがいかに効率的かはよくよく理解している ことわり。個々で賄うよりも それへと乗っかっている方が、商いや日々の生活、伸び伸びとこなせるという割り切りあってのこと、安寧の日々という奇跡が続いている次第。かつて撃墜された“都”との関わりにしても、まだまだ取っ掛かりのうち、綾麻呂一人が相対していた段階だったことが、この際は“吉”と出た。途轍もない数の野伏せりにより撃ち落とされたという悲惨な一大事さえ、当地への影響は薄く。秋からこっちの半年ほどは、何とか混乱もないまま過ごせており。くどいようだが、行幸途中だった新しい天主
(あまぬし)・右京の生まれ育った街だってのに、それでもこの波及のなさだったのは、いっそ大した豪胆さ、これでこそアキンドというべきなのかも知れぬほど。

 とはいえ

 ここに来て…そんなアキンドらが新しい差配を決めかねていることへと、この街では最下層の地位にある 浪人たちがようよう気づき始めたらしく。右京の差し金ではあれ、用心棒として辺境の農村へ向かって行った、まだ前向きだった顔触れが去ってのちの居残り連中。大戦時代という過去の栄達にしがみつき、なかなか前向きになれなんだクチだったからだろか。天下とりだの蜂起だの、他の都市で起きた浪人たちの激発の噂をようやっと耳にでもしたものか。一番 意欲なぞなかったらしい顔触れが、遅ればせながらと腰を上げ、押っ取り刀で頭数を整えて。まずはと試みたのが蛍屋の襲撃で。そちらは…残念ながら、居合わせていた用心棒の侍たちに返り討ちに遭ってしまったのだが、

 それで尻すぼみになってしまうかと思いきや。

 一体どういう風向きや気風が作用したものか。虚栄心ばかりが強くて右京の仕官の口という口車にも乗らず、その実 単なる無気力な輩たちばかりであった彼らが。そんな手痛い失敗を体験、若しくは目撃しても、こたびは萎れも諦めもせず、妙に勢いをつけたままでいるという。それというのが、先の“都”との合戦で組織力の大半を失った“野伏せり”の残党連中から、同じアキンド憎しという同志として手を結ばぬかとの申し出があったらしくって。ここ、虹雅渓にての旗揚げ目差し、桜の祭りの前後を決戦の日と定め、大々的に蜂起を構える予定になっているらしく。目標あっての士気の高さ…という順番だったらしいのだが、

  ……といっても

 それへの日時や何や、途中から…誰かさんたちからの こそりとした働きかけがあって操作されたようなものだと、気づいているクチは果たして一人でも居るものか。まるで哨戒思わすような見回りを続ける誰かさんによる、わざとらしい威嚇睥睨をもって。浮足立つようにと、さんざん煽ったこと以外にも。例えば情報筋の話題収拾に案配よくも乗っかるように、街のあちこちに配された様々な階層の人物らが、よその街ではどんな騒ぎが起きているのか、そういや、討たれ損ねた野伏せりたちが四散していてね…といった話題を実
(まこと)しやかに ばら捲いてくれており。それらに良いように釣られてくれた連中が、おおよそこちらの勝手や都合に合わせた頃合いに、虹雅渓周縁で野伏せりの一派と落ち合うこととの話がついていて。さすがに単なる推量からでは、正確な日時までは割り出せなんだので。外から集まる連中の情報は、まだ数えるほどの人々にしか その存在を知られてはない新式の“電信”にて、外部に出ていた知己からその動向を逐一伝えてもらいもしたし、

 『出来れば多くを一網打尽にした方が良かれと思うてな。』

 何しろ烏合の衆のこと、足並み乱れての遅れる一派が出かかりもしたらしかったが。すると…その陣営の中へ、大胆にも通りすがりの物売りやら芸人やらに化けてもぐり込み、

  ―― 頭目同士の顔合わせ、間に合わなんだら格下扱いにされませぬか?

 なぞと。いきり立たせるような言いよう吐いては、そちらでもまた煽り立てるよな真似までして下さった、彼らの尽力のそのお陰様、

 “東の大門、開門の隙をつき。
  出迎えの頭目らが出て行って、
  先の丘にて落ち合うこととなっているらしいが。”

 始動するべき頃合いというもの、どうかするとご当人にあたろう向こう様以上の正確さで、把握出来ていたりもし。何せ、こちらには唯一にして最大の懸念がある。いくらなんでもお初の顔合わせをしたそのまま、蜂起へなだれ込むような無謀はしなかろが。つつきようによっては、この街を戦さ場にしかねぬ仕儀でもあり。向こうは何ならそのつもり満々でもあろうが、こっちはそうは行かぬゆえ、

 “そこをこそ、警邏の者らと刷り合わせ出来たのは重畳だの。”

 今しも大きく開かれんとしていた、街と荒野とを区切る城塞の関、東の大門への勇壮な眺めを。そこへと間近い物見の櫓の見晴らしの上、目も眩むだろうところに悠然と立ったまま、じっと見据える人影あり。荒野からのそれなのか、吹き入る風は甘い東風。それになぶられながら、長々とした衣紋をたなびかせ。ただただじっと佇む姿は、翼休めていてもその双眸は炯炯と耀く、さながら、一羽の猛禽のようでもあって。

 身の裡
(うち)にあるは罪科を沈めた暗渠の深さ。
 数多の人らをその手で屠
(ほふ)った、
 “業”にまみれた過去しかなくて。
 それを自覚しておればこそ、
 未来を想うことなぞ出来なくて。
 刹那に生きて、人とは交わらない。
 いずれ枯れて頽れ果てるまで、
 ただ往けるだけを歩むだけ…。

 「………。」

 そうと覚悟していた筈なのに。そんな自分とは真逆の存在と出会い、そんな彼との旅の空へ、踏み出そうとしているその門口にて、姿くらますための煙幕を兼ね、ひと騒ぎ起こそうと構えている自分に、今になっての苦笑が浮かぶ。

 世の流れや、人の情には、
 出来ればかかわるまいと思っているのに。
 気づけば いつだってこのざまだ。

 誰ぞが窮地にあるを眸にすると、つい。手出しは結局ためにはならぬと判っていつつも、幾つかに一つは我慢が利かぬ。捨ててはおけぬと立ち上がっている。

 “肝心な我身こそ、思うように運ばぬとはの。”

 そんな自分はまだまだ精進が足らぬということだろか。そんな中で出会ったのが、勘兵衛の有りようへどこか似ていると誰ぞが言った、やはり迷子のとある青年。戦さしか知らぬ身の危なっかしさに、自分でも気づかぬながら ずんと惹かれてしまっていたようで。厄介な合戦が一段落したら立ち会うとの約定を先延ばしにしていた、その彼との旅立ちへの算段を兼ねてのこと、この街を目がけて集まりつつある厄介を蹴散らしてやらんとの目論みを、気づけば着々と固めていた自分であり。これが宿命だというならば、なかなかに手ごわいとの苦笑をこぼしつつ。

 “……さて、久蔵の方は上手く運んでおるものか。”

 今か今かと待ち兼ねたのが嵩じたは旅人だけでないものか、少しずつ開く大門の狭間から、一番乗りで吹き込んで来た一陣の風があり。これぞ春の訪のいの証し、辿り着いたばかりの商人らが持ち込んだ沈丁花の花でもあったのか、仄かに甘い香が滲んでおり。そのさりげない優しさに ふと、

 「……。」

 声さえ交わさぬ別れを為した、誰か様の気丈な横顔の印象が、脈絡なくよぎったような気がしたのが意味深で。そういえばかつての大戦でも、大きな正念場へと立ち向かうおりには必ず、彼からの指示復唱があったのを行動への切っ掛けにしていたもので。今度こそは諍いや人斬りとは縁を切り、物騒な世界から足を洗えよとの想い込め。伏し目がちにした目許の陰で、甘く微笑った勘兵衛で。誰か様には かつての大切な御主様。そんな彼の側もまた、この決別をもってして、大戦から抱えて来た杞憂はすべて、清算することという“割り切り”がきっちり出来ればいいのだが……。





         ◇



 それと同じ頃合いの、こちらは下層、最も粗末なクチの木賃宿が集まった区画。随分と早い時刻なのにも関わらず、どこか落ち着けぬ様子になって、むさ苦しい顔を やや不安げにつき合わせていた浪人たちなのを、

 「……。」

 さして感慨もないまま眺めやりつつ。春とは名ばかり、明け方はまだまだ冷え込む その宙を滑空していた紅の痩躯。あからさまに気配を際立たせてないとはいえ、気づく者もあるにはあって。またかとうんざり顔になるものもおれば、今日はいやに挑発的に睨んでくる者も少なくなかったが、手出しをするところまで激発する者はない。それはこちらにも同じこと。これまでだって単なる睥睨だけで済ませていたもの、しかもそれは壮年殿からの指示があったからと こなしていた手筈であって。本来だったら、あの程度の覇気なき者らなぞ、その存在すら気づかずに通過しているところの格に過ぎなかったのに。一体どういう思惑あってのことだったものか、誰へでもいいから ちろりと視線を合わせてやって、向こうが気づいたその途端、小さく口の端を持ち上げながら、ふいとそっぽを向くのだぞ…と。これみよがしな挑発なんてもの、意識したことがなかったのでこなせなかったろう久蔵へ、その方法まで教え込んだ上で町へと送り出してた壮年殿であり。

 “居残っている頭数が存外多い。”

 勘兵衛いわく、今日は客人を出迎えの儀というところだそうで。浪人どもと遠来の野伏せりたちと。書面での連絡くらいは交わしてもおろうが、ほぼ初対面同士という間柄だってのに、そのまま一気に蜂起にかかろうなんて盛り上がったりはしないはず。そうともなると、機巧躯は勿論のこと、乗り物である鋼筒であれ、見たまま野伏せりだとの看板に等しい代物なだけに。特別な通行証や紹介状でもない限り、大門くぐって城塞内に入るなんて大胆な運びは絶対に無理な相談。よって、街の周縁のどこかで待機ということとなろうから、

 『出迎えにと参じた代表格が、
  連中が潜伏する場所の都合をつけてやってから。
  今後の段取りなり、
  連携に要るだろう格づけ上での条件なりの、
  話をつけて戻って来るのを、
  こちらも待っているクチなのだろうが。』

 さて、どこまで統率が執れている彼らなのかが問題でなと、勘兵衛は微妙に意味ありげな様子でくすんと笑った。何に備えておいでやら、刀を研いだり武装を整えたり、妙に意気盛んな連中が。それらの準備や物資の補填を“昨日までに”と、出入りの店などへうっかり漏らしていたらしいという情報までも、すっかりと収集済みという抜かりのなかった軍師殿、

 『いよいよとの興奮で、
  じっとしてはおれぬ血の気の多いのも多々いようからの。』

 だから…という前提にて、彼から告げられた“コトの運び”を、こちらでもいよいよ実行に移すときとなった訳で。

 「……。」

 木賃宿の居並ぶ通りから一旦離れると、もう何層か上の階層の、火の見の櫓の先へ。まるで元からそうだった、そんな塑像が最初からあったかのような危なげのなさで、電波塔だか避雷針だか、細い細い鉄の棒がそそり立っているそのまた上へ、重さのない幻のような軽やかさ、ひょいと乗っかり立ち止まると。背中に負うてた双刀に、添わす格好で装備して来た矢を一本、肩から回した手でスルリと引いての抜き取って、白い指先へ摘まんだそのまんま、すいと振りかぶっての無造作に、彼方へ向けて放るようにと投げ出せば、

  ――― ひゅっ・か、と

 風を切っての飛んだ先、いかにも荘厳な構えの建物の中層、窓から飛び込んで容赦なくどこぞかへと突き立った模様。何だ何だと住人がその窓からお顔を出した時にはもはや、投げた当人の影も無く。小首を傾げた制服の青年が、それでも渋々引っ込んだのを見もせぬまんま、

 “……次は。”

 久蔵の意識は、とっくに次の行動へと移っている。神無村から戻ってのこっち、何度も何度も宙を翔った街だ。どこに何があるのかくらい、よくよく承知の筈だったけれど。どこをどう突つけばどうなるか、そこまでを考えたことは そういやなくて。軍師というのはそんなことをまで、日頃から考えていやるのだろかと。そうは見えなんだ音なしの構え、あまり出歩きもせずの、至って静かだった壮年殿を思い出しつつ。次の行動へと移ることにした、金髪痩躯の疾風殿だ。眼下に広がるのは、昨日の続きの今日が始まったばかりな街の風景で。自分も確かに十年もの間、住んでたはずの地ではあるが、街路の隅々までを覚える必要があり、あらためて見回して気づいたのが…案外と知らぬところも多いということ。だってそういえば…自分は上ばかり見上げていたから。

 「……。」

 あまりに幼いうちに引き離されたので、家族も故郷も、最初から無かったかのようなもの。在籍していた組織では道具扱いだったゆえ、義理も情もしがらみも、自分には関係が無かった筈で。地につながれる枷に匹敵しそうなものなぞ、一切持たない身だったけれど。

  翅だけがあってもしょうがない。
  自分が唯一“生”を実感出来た、あの天穹はもはやない。

 逢うてすぐさま刀を抜けと言い放った久蔵が、いかにも生え抜きの武士
(もののふ)じゃあないが、まこと例がないほどに純粋なサムライだと すぐさま見抜いた勘兵衛は。老獪狡猾な、だがそちらも…骨の髄まで人斬りの性(さが)に染まり切ったるサムライだったから。何に焦れていた若いのなのか、初見で既に薄々と察していたようで。身を捨てての死して名だけを残すが誉れと主張する、どこか夢見がちな少年へ。それとは真逆、人を斬っても自身は生き延びてこそという、容赦のない言を重ね続けていたし。再会を信じて待ち侘びていた副官殿へも、腹の減っていない侍は不要と、負け戦へ加担すること、彼の側からは持ちかけずにいたとかで。そんな男が、

  ―― 先に約した仕事があるのでな。それが片付くまで待て。

 命を削るよな冷たさで危なさで、生きてる証しをくれる真剣真摯な立ち合いを。味わいたいなら しばし待っておれと。そんな約束 寄越して来たのは、どんな魂胆あってのことか。重い負傷のお陰様、まだその約定は果たされてはおらず、また 七郎次の持ち出した理屈で言えば、今度はこちらで決めていいのだと。うんと焦らしてやればいいと、嗾
(けしかけ)られもしたけれど。


  ―― ああまでの負傷を負わなかったとしたならば、
     果たして…すぐにも“立ち合いを”と、
     勘兵衛相手に挑みかかってた自分だったのだろか。


 意味のない“もしも”には、今まで一度だって関心を向けたことさえなかったが。次の行動へと集中していたはずが、

 「…っ。」

 ついのこととて、途中の屋根の上で立ち止まってしまったほどに。ながらでは流せぬ、重さと錯綜を抱えた疑問であったりし。とはいえ、そんな自分へこそハッとして、ふりふりと金の髪揺すぶりまでしてかぶりを振った久蔵で。今はそんな機にあらず。らしくもない葛藤と振り捨てて。別な階層の路地裏、やはり木賃宿の固まっている、流れ者らの巣窟目指し。早朝の街なかの上、駆け出した紅の影……。



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  *このシリーズだけは 話を進めてはいけない病でも発症するものか、
   なかなか筆が進まなくってすいません。
   間が開けば開くほど尺も長くなるってのが、
   重々判っているんですが…何ともはや。


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